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動物保護が善なのか  2006.06.18 Sun

iwc.jpgIWC(国際捕鯨委員会)総会で、商業捕鯨の再開が今回も否決されたそうです。

詳しいことはわかりませんけど、国際的に捕鯨が禁止されたのはそもそも絶滅に瀕しているクジラという種を保護するためだったはずです。具体的な数などは知りませんがその甲斐あってか鯨の数は確実に増えているそうで、最近ではあちこちで船舶との衝突などもニュースにあがっていますよね。捕獲数に制限さえ設ければ、種によっては商業捕鯨を再開させても問題ない数になっているとも聞きます。
しかしそれでも各所で反対される。理由は「鯨は高等な頭脳をもった生物でありかわいそうだから」。

IWCにかぎらず、いろいろな動物愛護団体やグリーンピースに代表される環境保護団体はあって、各方面にかなりの影響力をもっているそうです。
そうした団体を否定するわけではありませんし、生き物や環境を保護するのはそれは大切なことです。しかし僕にはこういった団体の活動の多くが、残念ながらただの感情論をまくしたてているように見えてしまってます。

すべてを自然のまま残せ
そんな事、現代の人間である限り不可能です。アナタの家は洞窟ですか?

家畜の牛はいいが鯨は食べるな
なぜ? と聞くとさっきと同じ。
「鯨は賢い。牛は家畜として食べられるために飼われている。」

なんですか、それ・・。
その論理なら、頭のいい人とそうでない人のイノチに「保護するか食うか」くらいの差があると言ってるのと同じことじゃありませんか。
「これは殺していい、こっちは大切にしろ」なんて言うのは、単にその対象が「頭がいいか悪いか」「かわいいか、そうでないか」「『私が』食べたいか、食べたくないか」などといった、『自分』にとっての価値や感情を基準としたひどく身勝手な分別のように思えてなりません。

何にでもイノチってものはあって、本来等しく貴重なものでしょう。でもそういうイノチを断っていかないと僕らは生きてはいけないんですよ。肉や野菜を食べることはもちろんですけど、歩くだけでも虫や草花を殺してるかもしれませんからね。特に現代の人間は、地球っていう環境の中の、まー、いわば悪者に違いありません。
いくら「この種の命を守る」などという大儀をかかげても、それが偏ったものである限り、申し訳ありませんが僕には偽善にしか見えません。申し訳ありませんが色メガネで上から見下ろしているようにしか見えません。
そして偏りをなくす事は、僕ら人間のイノチがあらゆる他の生き物のイノチの犠牲の上に成り立っている以上不可能です。

本当に保護しなければいけない動物や植物はもちろんたくさんいるはずです。でもその理由は生態系をまもり後世に残すことであって、「かわいいから」であるべきじゃないと思います。また、悪者の僕らが生きていくためにどうしても必要ならあえて保護しない事も必要でしょう。盲目的に何でも保護すればいいってもんじゃあないはず。
個人ではなく団体という数の力をもって動くのなら、こうした姿勢をとってもらいたいものだと願うのです。

「偽善」というのは僕の中でもっとも嫌いなもののひとつで、それだったらいっそ完全な悪者になりきるほうがまだずっとマシと思ってますw。
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